高校野球の応援歌で一度は耳にしたことがある「アフリカン・シンフォニー(African Symphony)」。
この曲は、応援団や吹奏楽部にとって欠かせない曲となっています。
野球に詳しい方はともかくとして、どうでない方も「アフリカン・シンフォニー」のメロディを耳にすると、高校野球を思い出すのではないでしょうか。
最近、高校野球の応援歌もいろんな曲が演奏されるようになりましたが、今も昔も変わらずに人気の曲もあり、その一つがアフリカン・シンフォニー(African Symphony)。
しかし、なぜこの曲が高校野球の応援曲として選ばれ、これほどまでに愛されるようになったのでしょうか?
本記事では、その理由や背景に迫りながら、「アフリカン・シンフォニー(African Symphony)」と高校野球の関係を紐解いていきます。
それでは一緒に見ていきましょう!
アフリカン・シンフォニーの原曲は?
アフリカン・シンフォニーは、もともとアメリカの作曲家ヴァン・マッコイ(Van McCoy)によって作られた楽曲。
原曲はヴァン・マッコイが1974年にリリースしたアルバム「ラブ・イズ・ジ・アンサー(Love Is The Answer) 」に収録されています。
この曲は、ディスコミュージックとして作られました。
しかし、彼が結成したオーケストラ「ザ・ソウル・シティ・シンフォニー」と演奏することもあり、ディスコとは違う世界観を創り出しています。
日本でも1970年代にこの曲が編曲されて、吹奏楽で演奏されるようになりました。
そして、1980年代にアフリカン・シンフォニーの楽譜が販売されるようになると、様々な学校で吹奏楽の演奏が行われるようになっていきました。
高校野球でブラスバンドの皆さんが演奏されると、ダイナミックで迫力のある音色がとても印象に残りますね。
アフリカン・シンフォニーと高校野球
高校野球でアフリカンシンフォニーが演奏されるようになったのは、どんなことがきっかけになったのでしょうか?
一番最初に演奏したのはPL学園
アフリカン・シンフォニーを甲子園で最初に演奏したのは大阪のPL学園です。
それは、1978年第60回全国高等学校野球選手権大会でした。
人気になるきっかけは智弁和歌山高校
日本でアフリカン・シンフォニーが広く知られるようになったのは、1987年に智辯学園和歌山高等学校野球部が第69回全国高等学校野球選手権大会に初めて出場したときからです。
この時、同校吹奏楽部の顧問・吉本英治氏がこの曲を応援曲としてアレンジしたことが大きなきっかけとなりました。
智弁和歌山高校が甲子園の常連校になるにつれて、どんどんこの曲は多くの人々の耳に残るようになりました。
すると、他の学校がどんどん応援曲として採用するようになっていったのです。
今では応援曲の定番に
現在では多くの学校で応援曲の定番の一つになっている「アフリカン・シンフォニー」。
中でも、智弁和歌山高校(和歌山)と智弁学園(奈良)では、1回の攻撃の時には、必ず「アフリカン・シンフォニー」が演奏されています。
智弁和歌山、智弁学園といえば、「ジョックロック」をイメージされる方も多いですが、「智弁といえば、1回のアフリカン・シンフォニー」というファンも多いですね。
「この曲に乗って、流れに乗っていこう!」とエールが込められているのかもしれませんね。
ファンの反応
「アフリカン・シンフォニー」について、X(旧Twitter)で高校野球ファンの声をピックアップしてみました。
- 智弁和歌山のアメリカン・シンフォニー聴くと、「ザ・元祖」という感じでカッコイイ!
- やっぱり、甲子園で聞くアフリカン・シンフォニーは格別だよな
- 個人的に夏の甲子園に似合うのは「アフリカン・シンフォニーでしょ」
- 美爆音のアフリカン聞くと、「夏の甲子園」って感じがする!
これは一部ですが、本当に「アフリカン・シンフォニー」は甲子園をイメージさせる曲として定番になってますね。
それぞれの学校ごとに雰囲気も違って、応援曲として味わいがありますね。
まとめ
今日は高校野球の応援曲で人気のある「アフリカン・シンンフォニー」について紹介してきました。
高校球児たちの耳にも熱狂サウンドが届いていることでしょう。
猛暑の中でも、負けないで頑張ってほしいですね。
今日もお読みくださり、ありがとうございました。